変わりゆく業界と、
変わることのない地域への想いを胸に。

弊社 代表取締役社長である和田隆のメッセージをインタビュー形式でお届けいたします。
1980年代から業界に入り、時代の変遷と共に歩んできた和田社長。
持続可能な企業を牽引する今、改めてその人生を振り返ると共に、今後のビジョンを語ります。

東京での下積み時代

− 和田社長が岐阜日石に入社したきっかけは何だったのでしょうか?

「私は1982年に大学を出て、現在のENEOSの前身である日本石油の東京の特約店に2年間勤務しました。家業が日本石油の特約店だったこともあり、当時はその子弟教育制度があったのです。他にも全国からその特約店の御子息たちが研修に来ていましたよ。」

− 東京で研修をされたのですね!初めて知りました。

「1年目は銀座のスタンドに配属され、大企業の社長やタレントさん達の車を手洗い洗車する毎日でした。朝から夜まで切れ目なくお客様がいらっしゃり、息をつく暇もありませんでした。気がついたら体重が1年で20kg減っていましたね。」

「ところが、2年目になるとスタンドの統括本部に異動し、課長補佐になったのです。その間に整備士コースなども受講しながら、石油事業に対する知識や教育、心構えなどを身につけていきました。そして、無事に2年間の研修を終えた1984年に岐阜に戻り、岐阜日石株式会社の仕事に就くわけです。」

− 和田社長も大変な下積み時代があったのですね。研修後はどのような業務をされてきたのでしょうか?

「まずは本社で営業の仕事を4年間しました。次にセールスプロモーションを4年間経験をして、34歳で取締役となりましたね。その後も、スタンドの所長や二次店の営業、販売部長などを経験しながら40代半ばに常務取締役になりました。」

− 様々な部署や仕事を経験しながら、昇進されていかれたのですね。

「そうですね。そのような経験を積みながら、2014年に社長に就任しました。」

携帯電話事業の思い出

− これまでに思い出に残っている仕事を教えてください。

「営業企画の仕事をしていた1988年頃に携帯電話が出てきました。それに何か可能性を感じるものがあり、携帯電話の販売事業をしようと、試験的に売り出しました。そうしたら、月に60台くらい売れるようになったのです。」

「販売実績を重ねるうちに、NTTさんからドコモショップをやらないかと話を頂きました。つまり、岐阜での専売権の優先交渉です。私は乗り気で役員会に企画を提案したのですが、結果は本業の石油販売とは異なるという理由で却下。今でもチャンスを逃したと思っています。そのような経験があるため、次に時代の先端をいける事業に出会ったらチャレンジするつもりです。」

− 現在は携帯電話が当たり前に普及していますが、その前には、そのようなやりとりがあったのですね…。

「私も色々な経験をしてきているので、今の社員にも自分の企画が通らなかった時にどうするか?という考えをもってほしいです。しっかりと胸の中で温めながら、ブラッシュアップしてほしいですし、もちろん社員のその想いは聞いていきたいですね。」

社員の存在が自社の強み

− 会社の事業や、今後力を入れていきたい分野を教えてください。

「私たちはENEOSの特約店として、ガソリンスタンドを運営しています。その本業を軸におきながら、地域で生活されている皆様に役立てるようになりたいと思っています。地域のインフラとして貢献できるサービスを提供していきたいですね。」

− あらためて、自社の強みも教えてください!

「弊社は岐阜で事業を開始して、今年で75年目となります。この先も岐阜県で100年200年と生き残ることができる潜在力はあると自負しております。社員も様々なバックボーンを持った方々が多く在籍しています。他のスタンドで所長をしていた方や外国人の方などダイバーシティを意識していますし、その人の長所を活かせるよう適材適所を考えています。社員の方々の存在が自社の強みなのです。」

「令和の時代は働きやすい会社づくり、〜 つまり、残業削減やハラスメント、健康経営などの取組 〜 が格段に求められるようになりました。その取り組みの結果、『働きやすいが、働き甲斐がない』という声も世間では出てきているようです。まだ働いたことのない学生さんには想像できないかもしれませんが、弊社では、その両方を追い求めていきたいと考えています。」

岐阜の未来を、共に創ろう

− 最後に就職活動をしている学生のみなさまにメッセージをお願いします!

「やはり応募する会社の企業理念や行動指針などを理解しながら、自分の考えなどを発言することが大切だと思います。今の時代は、一生同じ会社で働きたい人もいれば、転職などでキャリアアップをしていきたい人もいます。自分の労働観を見つめながら、慎重に自分の人生を決めてもらうのがいいのではないでしょうか。弊社は岐阜に根付いて事業をしていますので、できれば岐阜の地域と会社の未来をつくっていきたい人と一緒に働けると嬉しいですね。」


昭和・平成・令和と、時代の変化に合わせて自社の事業に取り組まれてきた和田社長。
変わりゆく業界と、変わることのない地域への想い。
岐阜日石グループは、これからも地域の皆さまと共に歩んでまいります。


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